光秀さんと余裕さん
公開日:2024.05.13
更新日:2025.07.15
更新日:2025.07.15
01
抱えていた大きな仕事がやっと片付き、行きつけの茶店でぼんやりしていた時だった。
名前を呼ばれた気がして、紫暮は音を拾った方へと視線を向ける。
そこには、しばらく見ていない男の顔があった。
「光秀殿か、久しいな。」
紫暮が茶碗と団子の皿を引き寄せて場所を空けると、光秀は少しだけためらうような様子を見せた後で、「失礼します」と静かに腰を下ろした。
茶店の主人にもう一つ茶を頼み、紫暮は視線を光秀へと移す。通りを見つめるその瞳に光は見えず、表情も暗い。
いつもなら軽く近況を話してくれたりするのだが、今日は黙り込んだまま、こちらに顔を向けることもない。
しばらく光秀を見つめていた紫暮は、どうしたものかと腕を組んだ。
話したいことがあるなら、いくらでも耳を傾ける。ただ隣にいてほしいというのなら、いくらでも傍にいる。
それで平常を取り戻せるのであれば、どれだけ時間を費やそうが構わない。
だが、今日は普段と様子が違う。
このまま放っておいたら、心まで閉ざしてしまいそうだ。
「 ―― 何も聞かないのですね。」
視線を落とした光秀が、静かに口を開く。
紫暮は組んでいた腕をほどくと、身体より少し後ろに両手をついて空を見上げた。
「どう過ごすかは光秀殿が決めることであって、私はそれを受け入れるだけ、かな。」
青い空に、雲がひとつ、ふたつ。
時折髪を揺らす風も涼やかで心地がいい。
この穏やかな空気を、光秀は感じ取っているだろうか。
色褪せた味気ない景色を、見てはいないだろうか ―― 。
「すべては、私しだい……。」
自身に言い聞かせるように、光秀がつぶやく。静かに目を閉じた光秀は、一呼吸おいてからゆっくりと目を開き、紫暮の方へ向き直る。
「ありがとうございます、紫暮殿。もう、大丈夫です。」
ふわりと笑った光秀の瞳には、優しい光が宿る。
応えるように、紫暮もにこりと笑ってみせた。
それからしばらく、いつものように町の様子や噂話などを話しながら、紫暮は光秀の様子を見ていた。
話によっては表情を曇らせることもあるが、それなりに落ち着いてきたような気はする。これなら、ひとりにしても「もう大丈夫」だろう。
区切りのいいところで、紫暮は、よいしょ、と立ち上がる。
「それじゃ、そろそろ行くよ。久しぶりに外に出てきたから、あちこち顔を出しておかないと『生きていたのか』なんて言われるんだ。ひどいだろう?」
両腕を上げて大きく伸びをした紫暮は、「ご馳走様」と茶店の主に声をかけ、勘定を済ませて再び光秀の方を向く。
「理由も手土産もいらないから、いつでも鍛冶場へ寄ってくれ。できれば、心が悲鳴を上げる前に、ね。」
光秀の返事はなかったが、さすがに「はい」とは言いにくいだろう。
気持ちが伝われば、それでいい。
「……まだ、何か……?」
立ち去る気配のない紫暮を不思議そうに見上げて、小首を傾げる光秀。その前髪が、さらりと揺れる。
それを眺めていた紫暮は、不意にいたずらっ子のような笑みを浮かべ、手を伸ばしてわしゃわしゃと光秀の頭をなでる。
「光秀殿、何事もほどほどに、な。」
満足そうに頷いた紫暮は、あっけにとられている光秀を残して店を後にした。
通りを行き交う人々の間をすり抜けながら、紫暮は馴染みの店が並ぶ町の中心へと向かう。
伝えるべきことは伝えた。
この先は、光秀に委ねる ―― 。
名前を呼ばれた気がして、紫暮は音を拾った方へと視線を向ける。
そこには、しばらく見ていない男の顔があった。
「光秀殿か、久しいな。」
紫暮が茶碗と団子の皿を引き寄せて場所を空けると、光秀は少しだけためらうような様子を見せた後で、「失礼します」と静かに腰を下ろした。
茶店の主人にもう一つ茶を頼み、紫暮は視線を光秀へと移す。通りを見つめるその瞳に光は見えず、表情も暗い。
いつもなら軽く近況を話してくれたりするのだが、今日は黙り込んだまま、こちらに顔を向けることもない。
しばらく光秀を見つめていた紫暮は、どうしたものかと腕を組んだ。
話したいことがあるなら、いくらでも耳を傾ける。ただ隣にいてほしいというのなら、いくらでも傍にいる。
それで平常を取り戻せるのであれば、どれだけ時間を費やそうが構わない。
だが、今日は普段と様子が違う。
このまま放っておいたら、心まで閉ざしてしまいそうだ。
「 ―― 何も聞かないのですね。」
視線を落とした光秀が、静かに口を開く。
紫暮は組んでいた腕をほどくと、身体より少し後ろに両手をついて空を見上げた。
「どう過ごすかは光秀殿が決めることであって、私はそれを受け入れるだけ、かな。」
青い空に、雲がひとつ、ふたつ。
時折髪を揺らす風も涼やかで心地がいい。
この穏やかな空気を、光秀は感じ取っているだろうか。
色褪せた味気ない景色を、見てはいないだろうか ―― 。
「すべては、私しだい……。」
自身に言い聞かせるように、光秀がつぶやく。静かに目を閉じた光秀は、一呼吸おいてからゆっくりと目を開き、紫暮の方へ向き直る。
「ありがとうございます、紫暮殿。もう、大丈夫です。」
ふわりと笑った光秀の瞳には、優しい光が宿る。
応えるように、紫暮もにこりと笑ってみせた。
それからしばらく、いつものように町の様子や噂話などを話しながら、紫暮は光秀の様子を見ていた。
話によっては表情を曇らせることもあるが、それなりに落ち着いてきたような気はする。これなら、ひとりにしても「もう大丈夫」だろう。
区切りのいいところで、紫暮は、よいしょ、と立ち上がる。
「それじゃ、そろそろ行くよ。久しぶりに外に出てきたから、あちこち顔を出しておかないと『生きていたのか』なんて言われるんだ。ひどいだろう?」
両腕を上げて大きく伸びをした紫暮は、「ご馳走様」と茶店の主に声をかけ、勘定を済ませて再び光秀の方を向く。
「理由も手土産もいらないから、いつでも鍛冶場へ寄ってくれ。できれば、心が悲鳴を上げる前に、ね。」
光秀の返事はなかったが、さすがに「はい」とは言いにくいだろう。
気持ちが伝われば、それでいい。
「……まだ、何か……?」
立ち去る気配のない紫暮を不思議そうに見上げて、小首を傾げる光秀。その前髪が、さらりと揺れる。
それを眺めていた紫暮は、不意にいたずらっ子のような笑みを浮かべ、手を伸ばしてわしゃわしゃと光秀の頭をなでる。
「光秀殿、何事もほどほどに、な。」
満足そうに頷いた紫暮は、あっけにとられている光秀を残して店を後にした。
通りを行き交う人々の間をすり抜けながら、紫暮は馴染みの店が並ぶ町の中心へと向かう。
伝えるべきことは伝えた。
この先は、光秀に委ねる ―― 。
紫暮の姿が見えなくなるまで見送った後、光秀は乱れた髪を整えながら、ため息を一つ。
……また、迷惑をかけてしまった。
久しぶりに外に出たということは、それだけ仕事が忙しかったということだ。声をかけるまで気づかなかったのも、疲れていたせいだろう。
それでも紫暮は、「受け入れる」と言ってくれた。落ち着くまでいくらでも付き合う、と。
紫暮は、いつもそうだ。どれほど忙しく、どれだけ疲れていようと、相手を受け入れる。
その話に耳を傾け、時には冗談を交えながらも、相手の心に寄り添うことを忘れない。
気遣う言葉や激励の言葉は少ない。けれどそれは、「背負いすぎないように」という、紫暮の優しさだと知っている。
寄り道でも、遠回りでもいい。
ときには歩みを止めて休んだって構わない。
けれど、もし、前へ進めなくなってしまったその時には……
いつでも遠慮なく会いに来てほしい。
心を、擦り減らしてしまう前に ―― 。
紫暮の思いは、確かに受け取った。
あとは、己の心ひとつ。
いつの間にか側に置かれていた茶椀を手に取り、温くなってしまった茶を、一口。
空の青さも、浮かぶ雲の白さも。
柔らかく降り注ぐ陽の光も、風に揺れる緑も。
通りを行き交う見知らぬ人々でさえ、今は色鮮やかに映る。
大丈夫、ひとりじゃない。
紫暮の声が、聞こえたような気がした。
……また、迷惑をかけてしまった。
久しぶりに外に出たということは、それだけ仕事が忙しかったということだ。声をかけるまで気づかなかったのも、疲れていたせいだろう。
それでも紫暮は、「受け入れる」と言ってくれた。落ち着くまでいくらでも付き合う、と。
紫暮は、いつもそうだ。どれほど忙しく、どれだけ疲れていようと、相手を受け入れる。
その話に耳を傾け、時には冗談を交えながらも、相手の心に寄り添うことを忘れない。
気遣う言葉や激励の言葉は少ない。けれどそれは、「背負いすぎないように」という、紫暮の優しさだと知っている。
寄り道でも、遠回りでもいい。
ときには歩みを止めて休んだって構わない。
けれど、もし、前へ進めなくなってしまったその時には……
いつでも遠慮なく会いに来てほしい。
心を、擦り減らしてしまう前に ―― 。
紫暮の思いは、確かに受け取った。
あとは、己の心ひとつ。
いつの間にか側に置かれていた茶椀を手に取り、温くなってしまった茶を、一口。
空の青さも、浮かぶ雲の白さも。
柔らかく降り注ぐ陽の光も、風に揺れる緑も。
通りを行き交う見知らぬ人々でさえ、今は色鮮やかに映る。
大丈夫、ひとりじゃない。
紫暮の声が、聞こえたような気がした。
文章を書くこと自体が久々すぎて、書いて消してを何度繰り返したことか……
自分でも語彙力のなさとテンポの悪さに絶望しました or2
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
この先も、お付き合いいただけましたら幸いです^^
ジュシン
自分でも語彙力のなさとテンポの悪さに絶望しました or2
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
この先も、お付き合いいただけましたら幸いです^^
ジュシン
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